finland
Metsän, järven, ja matkapuhelimen maassa - Elamani Suomessa
森と湖と携帯電話の国で〜フィンランド滞在記

お断り:この文章は,帰国直後の1995年,当時勤務していた九州工業大学の学報に寄稿したものです.携帯電話の普及度など,現状とは大きく異なっている記述もありますので,ご注意ください.

1994年5月から翌2月まで,フィンランドのタンペレ市にあるVTT(「国立技術研究センター」の意味のフィンランド語(Valtion Teknillinen Tutkimuskeskus)の略語)情報工学研究所医療情報工学部門に,文部省在外研究員として滞在する機会を得ました.この文章では,フィンランドという日本ではあまり知られていない国での滞在で印象に残ったことを書いてみます.

フィンランドという国

フィンランドの国土のほとんどは平坦で,また世界の地表面でもっとも古いといわれる岩でできていて地震は全くありません.日本よりもやや小さい国土面積のうち森林が69%,湖沼が10%で,森と湖の国といわれるゆえんです.この土地に人口はわずか500万人しかいませんから,右の写真のようにどこもかしこも広々としています.高い塔から景色を見ると,空気が澄んでいることもあって,果てしない森の木々が地平線に至るまで1本1本見えるかのようです.

Punkaharju
フィンランド東部,Punkaharjuの夏の風景.

森の国らしく,フィンランドの大企業には木材工業や製紙業,それらから発展した土木建設業,重機械工業が多く見られます.しかし,もう一方でフィンランド工業の名を世界的に知らしめているのが工業デザインと携帯電話です.工業デザインでは,照明器具やガラス製品がよく知られています.また,Nokia社の携帯電話は世界第2のシェアを持ち日本にも輸出されていて,阪神大震災の際は救援物資として送られました.フィンランドをはじめとする北欧では携帯電話が非常によく普及しています.また,フィンランドの携帯電話は,フィンランド全土で通話できるのはもちろんのこと,他の北欧諸国でもそのまま利用可能です.都市部や幹線道路沿いでしか通話できない日本の携帯電話と違って,フィンランド全土どんな僻地でも通話可能で,北極圏のスキー場のゲレンデの途中で通話している忙しい人も見かけられます.

フィンランドはヨーロッパでは歴史の新しい国で,独立国となったのは1917年のことです.その前100年間はロシアの自治領,その前650年間はスウェーデン領でした.現在でもフィンランド人の6%はスウェーデン語を母語としており,フィンランド語を母語とする人でもスウェーデン系の姓を持つ人もいます.例えば,「ムーミン」はフィンランド人の作品ですが,原書は全てスウェーデン語です.また,国の公用語はフィンランド語とスウェーデン語の両語で,国会での議論は両語入り交じって通訳なしで行われます.また,スーパーの商品には必ず両語が併記されていて,スウェーデン語系住民の多い町では通りの名も両語で表示されています.

フィンランドの作曲家シベリウスの交響詩「フィンランディア」の紹介でよく「フィンランド国民はロシアの圧政に耐えかね,独立の機運が高まり...」という記述がありますが,これは嘘ではないですがあまり正しいとは言えません.ロシア帝国はその末期にフィンランドを無理にロシア化しようとして,これが独立のきっかけになったのは事実ですが,それ以外の時期を見ると,スウェーデン時代にはフィンランド文化は全く無視され,政治や高等教育の言語はスウェーデン語だけだったのに対して,ロシア時代にはフィンランド文化が保護され,フィンランド語も公用語の地位を得ました.

独立後,第2次大戦中ソ連と2度戦い,その際ドイツの援助を得たために戦敗国となってしまいました.このため,ソ連に領土を割譲し賠償金を支払い,その後ソ連が消滅するまでの間,なにかとソ連から影響を受けました.この歴史のため,両隣の大国に対する感情は複雑で,大学の掲示板にスウェーデンを消して海にした地図が貼ってあったり,またソ連に割譲したカレリア地方の返還運動が現在もあります.しかし,同時にこの両国は最大の貿易相手国です.また,フィンランド軍の装備は自国製,ロシア製,スウェーデン製,アメリカ製などが混じりあっていて,スウェーデン製の機関銃をのせたロシア製の戦車もあるそうです.このあたりが,大国の狭間で生きる小国のしたたかさのようです.また,スウェーデン語で教育する学校が人気があることや,スウェーデン語系住民が100人ほどしかいないタンペレでもスウェーデン語のテレビ番組があるという事実が,この国の複雑な事情を象徴しています.

フィンランドという国

フィンランドの大学制度が日本と大幅に違うのは,「修業年限が決まっていない」ことです.大学生は銀行から低利・長期返済で生活費を借りることができるので,早い人で卒業まで6年くらい,中には10年計画という人もいるくらいゆっくりと大学に通います.途中で兵役(男性のみ,17歳から30歳の間の好きな時に8か月間)に行く人もいます.また,学籍はあるが会社に勤めているという人もいて,学生生活の最後の方になると学生なのか働いているのかよくわからなくなります.

大学を出ると,修士号が得られます.博士号をとるために研究している,大学院生に相当する人々は,たいてい大学の助手や研究所の研究員の身分で給料をもらっています.大学や研究所の研究者には,「研究休暇」というおもしろい制度があります.これは,学位論文の執筆などの個人的な研究活動のために取る休暇です.この期間中は給料はもらえませんので,研究所自身やフィンランド・アカデミーなどが出す奨学金をとって休暇をとります.また,この制度を利用して外国に行ったり,他の民間会社で時限契約で働く人もいます.

フィンランドでは,「先生というのはさほど尊敬される職業ではない」そうです.大学で助手をしてらっしゃる日本人の方は「フィンランドの学生は,先生というのは知識という商品をサービスしてくれる『サービス業』だと思っている」とおっしゃってました.実際,学生は先生を,研究員は所長をファーストネームで呼びますし,あまり上下の関係を感じません.これはフィンランド社会全体にも感じられることで,年齢が10歳以上離れていても友達としてごく普通につきあうことができます.言葉にもあまり敬語表現がなく,Mr.やMrs.にあたる言葉も大統領夫妻くらいにしか使わないようです.

私のいたVTTの医療情報工学部門と,タンペレ工科大のいくつかの研究所は,タンペレ市郊外の研究所地区にある同じ建物内にありますが,大学とVTTとでは研究体制はかなり違います.大学の体制は日本のそれに近く,各研究者が独自のテーマで基礎研究を行っています.これに対しVTTでは外部からプロジェクトを募集し,それに沿って2年から3年の期限付きで研究を行います.また研究者の勤務体制をみても,大学の研究者は夜が遅い人が多いのに比べ,VTTの人は朝8時に出勤し夕方4時過ぎに帰るという勤務時間を守っています.ただ,民間を含めた研究機関の間の共同研究は活発で,私自身も,VTTに在籍していましたが,工科大の2つの研究所と大学病院の人々と共同で睡眠時脳波の自動解析を研究しました.

滞在中,幼稚園と小学校を訪問し、講演する機会がありました.幼稚園では園児の数に比べてやたらに先生が多いように感じられましたが,実はフィンランドの幼稚園では,園児7人に1人以上の先生がつくことに法律で決まっているそうです.この時の講演のようすは、地元の無料情報紙"Lempäälän-Vesilahden Sanomat"で「日本人の研究者Lempäälä(町の名)に来訪」という題で報じられました。

フィンランドの子供たちはおとなしくて秩序正しい子が多く,プレゼント等をもらってもあまり大騒ぎして喜ぶことはないそうです.講演も大変おとなしく聞いていました.小学校の先生には「日本の子供はもっと静かだろう」と言われましたが,そんなことはないとおもいます.

フィンランドの四季

日本では「暑さ寒さも彼岸まで」というように,季節感は気温の変化によって作られますが,北欧では季節感は日の長さの変化によって生じます.このことは,日本では春分と秋分が祝日であるのに対して,フィンランドでは夏至(聖ヨハネ祭)と冬至(クリスマス)が最大のお祭りで,春分秋分は単に夏時間冬時間の切り替えの時期でしかないことにも現れています.

aurora
オーロラ(飛行機から撮影)

タンペレ市は北緯約61.5度にあり,夏至の日の入りは午後11時15分,夏至前後それぞれ約1カ月間は夜暗くなりません.この時期,北向きの窓からは夜10時を過ぎると西日ならぬ「北日」が入ります.これに対して,冬至には日の出が午前9時44分,日の入は午後3時になります.「日が出ると目覚め,日が沈むと眠るというのが人間のリズム」という,日本での常識は,この極限の土地では通用しません.

また,日の長さに合わせたように天候も変化します.6,7月は晴れの日が多く気温は25℃くらいで,大変美しい青空が広がります.しかし,10,11月には厚みが天の果てまでありそうな(?)分厚い雲が空を覆い,毎日雨か雪が降り続きます.日が差すのは1カ月に5分程度で,毎日0℃くらいの気温が続きます.昼の長さは1日5分ずつ短くなって行きます.

クリスマスを過ぎ,日の長さが長くなり始めると,気温は-10℃前後になりますが晴れの日が多くなり,雪が陽光に光って大変美しくなります.フィンランド語では月を「睦月,如月,…」のような名前で呼びますが,そこにもこの季節感が現れています.10月にはlokakuu(「泥月」),11月にはmarraskuu(「死人の月」)という名前が付いているのに対し,2月はhelmikuu(「真珠月」)と呼びます.

フィンランド人は「冬つらいのは暗さであって,寒さではない」とよく言います.私が滞在 した1994/95年の冬は暖冬でしたが,1月には-15℃以下になることもありました.しかし,暖房と給湯はここでは電気や水道と同じ「ライフライン」で,町の暖房工場から常時送られているので,屋内で寒さを感じることは全くありません.

天候だけでなく,人間の性格さえ日の長さに合わせて変わるような気がします.私は5月1日にフィンランドに着いたのですが,5月になるとすでに人々の関心は夏休みに向いていて,会う人会う人に「夏休みはどうするんだ?」と聞かれました.それに対して10,11月は人々の気分も鬱いでいて,楽しみはクリスマスだけ,という感じです.それがクリスマスを過ぎて明るくなってくると,とたんにまたスキーだ何だと元気が出てくるようです.フィンランドの人は普通7月の1カ月間夏休みをとりますが,あの暗い秋冬を経験すれば,夏働きたくないという気持ちは十分にわかります.

最近日本でも夏時間導入が議論されることがあるようですが,夏時間や「六月の花嫁」という習慣はこのような日照条件や気候でこそ意味があるのであって,それを日本の大部分のように,高温多湿で日がそれほど長くならない地域にそのまま当てはめるには,少々無理があると思います.また,フィンランドの人は日光を大事にするせいか,少しでも明るさがあれば部屋の照明はつけず手元の照明だけで作業しています.しかし,日本では昼間でも少しでも暗ければ部屋を照明していますし,大部分の地域では夏はクーラーを常時つけているので,夏時間導入による節電効果は薄いのではないでしょうか.

フィンランド語

フィンランド語はフィン・ウゴル系言語のひとつで,英語やスウェーデン語などのヨーロッパ言語とは全く関係がありません.ですから,このページに出てくるフィンランド単語を見てもわかるように,ローマ字で書かれているにも関わらず英語独語等を知っていても意味を想像することすらできません.しかし,発音は日本人には大変簡単で,母音が多くほとんどカタカナで書けます.英語のように聞きとりに苦労することもないので,どんどん耳から単語が覚えられます.ですから,滞在中に通った語学教室でも日本人は一番上達が早く,英語国民や中国人はうまく発音できず苦労しているようでした.

フィンランド語では名詞の語尾変化で文法格を表します.例えば

talon takana
 裏

のようになります.斜体部が変化した語尾で,日本語の「てにをは」にあたります.語順もこの通りです.

この語尾変化が単数複数合わせて29通りもあることもあって,ヨーロッパ語圏ではフィンランド語は「世界一難しい言葉」と言われているらしく,アメリカには「フィンランド語専攻の学生は必ず精神分析を受けて,「異常」と判定されなければ単位がもらえない.もし真剣に勉強していれば,必ずどこかおかしくなっているから」という冗談まであるそうです.しかし,上の例のように日本語の「てにをは」と思えばそれほど難しいものではありません.上の冗談には,英語国民の偏見がよく現れています.

日本で,英独仏語などに通じている人が「日本人は生まれつき外国語が下手だ」などと書いているのを目にすることがありますが,大変滑稽に思えます.「外国語」とは「英語」のことではありません.もしフィンランド語が英語のような世界語になっていたら,日本人はきっと「外国語が上手な国民」といわれていたことでしょう.

おわりに

この滞在で,研究や論文執筆に集中できたのはもちろんのこと,海外に1年近く滞在したことによって,見聞を広め,また偏見や間違った知識を正すことができました.20代の最後にこのような機会を与えて下さった皆様,そして滞在中日本での仕事を肩代わりして下さった先生方や学生諸君に心から感謝いたします.



リンクしていただきました