finland「フィンランドは親日国か・ロシアは『悪い国』なのか」についてのご意見

読者のjanus様から,「フィンランド独立と日露戦争」「ロシアは『悪い国』なのか」についてコメントをいただきました.「フィンランドは親日国か」の2004年5月の改訂では,janusさんのコメントやご紹介いただいたサイトを参考にさせていただきました.ありがとうございました.

なお,以下のコメントは2004年5月の改訂前の「フィンランドは親日国か」に対するものですので,引用されている文章は現在のものとは異なります.


現在,アメリカ在住で,それで逆に日本の歴史に興味が出てきて,インターネットでいろいろと見ていたところ,たまたま「フィンランドは親日国か」を見かける機会があったのですが,その中の「フィンランド独立と日露戦争」で気になる部分があったのでメールさせていただきました.

日露戦争における日本の勝利が,ロシアからの独立を志していたフィンランド人を勇気づけた」ことが事実かどうかは,私が読んだいくつかの北欧の専門家の本でもあまり語られていませんし,私には判断がつきません.また,現代のフィンランド人がこのことを事実と考えているかどうかも,世論調査でもしない限りわからないと思います.

と,ありますが,フィンランド大使館の公式ページの中の「フィンランド情報」→「日本とフィンランドの交流」→「初代駐日フィンランド公使G.J.ラムステットの知的外交」(著者:カウコ・ライティネン(Kauko Laitinen),ヘルシンキ大学レンヴァル研究所(1996−2000フィンランド大使館報道参事官)というページの中では,

日本は,日露戦争(1904-1905)でその実力を内外に示したため,日本のフィンランド承認は重要な意味を持つものであった.また,1894年〜1896年まで日本に滞在し,日本の政治家の間で良く知られていたコンニ・ジリアクス(Konni Zilliacus)など,フィンランド独立運動活動家に対する日本の支援もフィンランド人の記憶の中にはあった.

というようにフィンランドの独立における日本の影響を明確に示しているように思われますが,いかがでしょうか?特にこの文章の著者は,署名にあるように,フィンランド大使館報道参事官をつとめていたことのある人物であり,日本向けの宣伝という意味合いもあるでしょうが,フィンランド大使館の公式ページに書かれているということは,決して小さくない意味を持つと思います.一般人は知らなくても,フィンランド政府は知っているということです.

その影響としては,例えばフィンランドのTampere大学の学生Sami Eloranta氏の論文"Political and Diplomatic Relations of Finland and Japan - An Historical Overview"その中で以下のように書かれています.

Regarding the factors supporting Finland's rise to independence, Suomi-Japani suhteet places weight on the importance of the national enthusiasm of the Finns caused by Japan's victory over Russia in the Russo-Japanese war (37)

また,コンニ・ジリアクスという独立運動家は,坂の上の雲という小説(私は読んだことはありませんが)で,明石大佐が知り合った反ロシア運動家のシリアクスのことだと思われます.この明石大佐は,反ロシア運動家に資金を渡して支援していたと言われています.

また,「フィンランド独立と日露戦争」の東郷ビールの話で,

一方,その章では,このことを否定する在日フィンランド大使館などの見解も紹介しています.

「このことを否定」というのは誤解を招きやすいと思います.「このこと」が東郷ビールの話であれば,事実確認は容易ですが,「フィンランドの独立と日露戦争のこと」であれば,「『東郷ビール』という伝説・生き続ける『伝説』と謎」で大使館の見解として,

[1]のサイトのこのページにある,在日フィンランド大使館の「東郷ビール問題」についての見解(2000年)・・・冒頭で「東郷ビールなるものは実在しません.」と言い切っており,また「日露戦争(1904−05年)におけるロシアの敗北がフィンランド国家独立の誘因となったという明確な論拠を見出すことはできません.むしろ,フィンランド人は日露戦争で,ロシア側の兵士として参戦し,日本軍と交戦しています.」とも述べています.

と個人のサイトを紹介していますが,この見解がフィンランド大使館の公式のものとするのは根拠が乏しいと思われます.そもそも抜粋掲載ですから,自分にとって都合の良い部分のみを抜き出している可能性もあります.しかも,先の報道参事官の記事は(SUOMI 2000年第2,3号掲載)ですから,独立における日本の関与にまったく言及しないのは不自然でもあります.

さらに,[フィンランドは親日国か]の記事の中で,

1905年1月の「血の日曜日事件」をきっかけとするロシア第1革命によって帝政ロシアが弱体化したことが直接の原因で,敗戦は革命を促進する理由の1つ,ということもできます.また,ロシア化政策は後に再開され,1917年のロシア十月革命で帝政が崩壊するまで続いています.

と書かれていますが,1905年の1月は,まさにロシアの旅順の降伏が世界に伝えられた月であり,「血の日曜日事件」の中で労働者が掲げた要求の中に「日露戦争の中止」があったことは多くの日本のサイトに書かれています.これを考えると,ロシアの敗戦がもつ意味は決して小さくないと思います.

また,「ロシアは『悪い国』なのか」の章で,

1917年の十月革命で帝政ロシアが崩壊した後で,フィンランド政府(「セナート」とよばれ,自治大公国成立以来ずっと存在していました)は独立を宣言し,独立国としての承認を諸外国のなかでソ連(レーニンを中心とするボリシェビキ政権)に最初に求め,認められました.

そのボリシェビキ政権にはトロツキーがいましたが,2月革命の際の記事に何度も日露戦争のことが出てきています.ロシアの革命においても,1905年の日露戦争はそれだけ印象の強い事件だったはずです.
(参照:「[革命の始まり]トロツキー」

また,フィンランドのTempereになぜか「レーニン博物館」があるわけですよね?

「レーニン博物館を訪れて」にあるように,「ロシア帝国の打倒を目指すレーニンは,フィンランド独立にも深く関わっている.」その意味では,レーニンのソ連がフィンランドの独立を最初に承認するのはごく当然なわけです.「フィンランドは帝政ロシアと戦って独立をもぎ取ったわけではありません.」と書かれていますが,何も正面から戦わなければ独立が得られないわけではないでしょうから,フィンランドがロシアからの独立を希望していなかった理由にはならないと思います.

フィンランドが親日的であるかどうかは,私もどうでもいいのですが,この時代におけるとロシアとフィンランドにおいて,日露戦争の影響は少なからずあった,といわざるを得ないように思います.


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