[2003. 5. 31] 最近
「『東郷ビール』という伝説」へのアクセスが増えているため,「東郷ビール」のページを大幅に改訂したのに合わせてこのページも改訂しました.
[2004. 1. 31] 最近,掲示板「2ちゃんねる」のあちこちのスレッドに,「フィンランドは親日じゃないよ」という書き込みとともにこのページへのリンクが貼られているようです.これは,私がやっているのではありません.下の「はじめに」をお読みください.
[2005. 5. 29] 2005年5月27日は,東郷平八郎提督が活躍した日本海海戦から100周年の記念日です.だからというわけではありませんが,この機会に,"Noriko Show"についてとりあげるなど,いくつか改訂をしました.
はじめに
「フィンランドでは,日露戦争の英雄である東郷平八郎提督を記念したビールが売られている」という話は,「フィンランドは親日国である」という文脈でよく語られているようです.この「東郷ビール」はかなりの程度「伝説」であることは「『東郷ビール』という伝説」のページで述べたとおりですが,ではフィンランド人は本当にそれほど親日的なのでしょうか?このページでは自分の体験や聞いた話を書いてみようと思います.
なお,私は,フィンランドが親日的であるともないとも言っていません.ある国が「親日国」であるかどうかを決めることはできないし,決める意味もないと私自身は考えています.ただ,あまりに「フィンランド親日説」をあちこちで聞くので,フィンランドに多少ともかかわりのある者のひとりとして,このようなページを制作しています.
アメリカの政治家について,「親日派」「知日派」「対日強硬派」などといった分類をしているのをよく見かけます.それなのに,どうしてフィンランドについては「国全体が親日」などと言われるのでしょうか.フィンランドにも,アメリカと同様に,いろいろな考えを持つ人がいて当然だと,なぜ思わないのか不思議です.
"Noriko Show"について
先日,日本のテレビで,フィンランドで人気があったというテレビ番組"Noriko Show"が紹介されていました.この番組は,「日本人のノリコ」と称する女性(実は扮装をしたフィンランド人の女優)が,著名人におかしな英語で奇妙なインタビューをして相手を困らせ,最後に正体を明かす,という番組だそうです.同様の番組はヨーロッパ各地で放送されています.ハンガリーで放送されたときには,在留日本人の間に強い反発の声があがり,日本大使館がテレビ局に抗議する騒ぎになったので,ご記憶のかたもあるかと思います.
ハンガリー版の番組(こちらでは「日本人女性」の名は「ミツコ」だそうです)については,ハンガリー在住の日本人の方の,ハンガリーのニュースについてのサイト"hungarynewsde.gozaru.jp"の2003年5月26日の項に,その内容が詳しく出ています.5月19日,22日の項にも話題が出ています.
NGO「日本国情報審査機構」(現在設立準備中だそうです)のサイトには,2003年5月1日の項に,共同通信がこの問題を報じた記事や,番組宣伝の画像が出ています.
さて,フィンランド版のほうについては,フィンランド在住日本人の"joulupulla"さんのブログ"TERVE!!"の,「フィンランドのTV番組」で,「ノリコ」の写真とともに詳しく紹介されています.また,「Noriko Saruの素顔」の項では,「ノリコ」に扮した女優Outi Mäenpääさんが紹介されています.
上のブログでの"joulupulla"さんの記事や,それに対するコメントでは,"Noriko Show"は割合好意的に受け止められています.実は,フィンランド政府観光局の日本語公式サイトでは,2004年3月31日の"Finland This Week"「今週のこぼれ話」で,堂々と"Noriko Show"をとりあげており,「これも日本に対する興味の現れなのかもしれません」と結んでいます.
読者の皆様はどうお感じになるでしょうか.私自身は,釣り目に眼鏡・出っ歯・下手な英語という,ありがちな日本人像に,「フィンランドよ,(やはり)おまえもか」と感じています.
ところで,とくに「下手な英語」に関しては,1994年にフィンランドに滞在していた頃なら,フィンランド人もヨーロッパ人の中では英語が下手なほうだったので,「お前らに言われたくないよ」といってやりたかったところです.しかし,2003年に再びフィンランドを訪れたときは,以前に比べて,ファーストフード店のアルバイト店員など若い人たちの英語がうまくなったと感じました.
滞在時(1994-95)に感じていたこと
フィンランドにいた時には,「とくに敵意があったり,反日デモがあったりということはないが,わざわざとりあげて記事にするほど親日的でもない」と感じていました.つまり,フィンランド人は特別に日本に関心をもっているわけではない,ということです.ただ,思い出してみると,こんなことがありました.
- 酔っているのかと思われるおじさんが,「日本は戦争でアメリカにひどい目にあっただろう,フィンランドもソ連にひどい目にあった」などと話しかけてきたことは何度かありました.ソ連との関係については現地でいろいろな人に聞かされましたが,日露戦争の話をした人はいませんでした.
- 住んでいたアパートの隣人に初めて会った時,「日本のようなハイテクの国からこんなローテクの国に来てどう思う?」と聞かれました.「日本はハイテクの国」というイメージはあったようです.ただし,いまや日本でもIT大国として知られるフィンランドですが,1994年当時でも携帯電話は日本よりも普及していましたし,銀行のキャッシュカードで買い物ができるデビットカードのような仕組みもごくあたりまえに使われていましたから,全然ローテクの国ではありませんでした.
東洋人差別について
海外在住日本人が体験記を書いているサイトはたくさんあります.そのなかには,東洋人ということで差別され,ひどい目にあったという話も出ています.フィンランドの隣国スウェーデンのように,日本人に概ね好印象をもたれている国についてさえ,「とほほの主婦インSWEDEN」(「スウェーデンとほほ miserable days in Sweden」の項)のように被差別の経験談を語るサイトがあるくらいです.
それに比べると,フィンランドについてはそういう話をあまり聞きません.私自身の体験でいえば,別の日本人男性と2人で歩いているときに,すれ違いざまに「Chinese, Chinese!!」とはやしたてられた程度でしょうか.
白人の国で,日本人があからさまに差別されない,というだけでも,親日的である,あるいは差別的でない,と考えなければならないのかもしれません.
[読者の方からのご意見]
フィンランド独立と日露戦争
冒頭にあげた,「東郷ビール伝説」と関連する「フィンランド親日説」では,「日露戦争の英雄である東郷平八郎提督を記念したビールが発売されているのは,日露戦争における日本のロシアに対する勝利が,ロシアの圧政からの独立を願っていたフィンランドを勇気づけたから」という話がよく語られています.
当時,「日本の勝利を喜んだフィンランド人が少なからずいた」のは確かでしょうが,歴史学的に見て「日本の勝利がフィンランド独立に貢献した」といえるかどうかは,私が読んだいくつかの北欧の専門家の本でもあまり語られていませんし,私には判断がつきません.また,現在のフィンランド人のうち「日本の勝利がフィンランド独立に貢献した」ことを事実と考えている人がどの程度いるかも,世論調査でもしない限りわからないと思います.
※「『東郷ビール』という伝説」のページの「生き続ける『伝説』と謎」の章では,「日本の勝利がフィンランド独立に貢献した」ことをフィンランド人から聞いた,という話や,フィンランドのSorsa元首相が日本での講演でこのことを述べていることを紹介しています.一方,その章では,このことを「日露戦争(1904−05年)におけるロシアの敗北がフィンランド国家独立の誘因となったという明確な論拠を見出すことはできません」と否定する在日フィンランド大使館などの見解も紹介しています.
※在日フィンランド大使館のサイトにある「初代駐日フィンランド公使 G.J.ラムステットの知的外交」という文書では,日本が日露戦争の勝利により列強のひとつになったこと,および日露戦争の際に日本がフィンランドの独立運動家を支援したことにより,独立フィンランドは日本との外交関係を重視した,ということが述べられています.
※スウェーデン国籍でフィンランド人の血をひくAinur Elmgrenさん(日本ともつながりのあるかたのようです)のフィンランド語のブログ"Fennoscandia"の"Japani ja Suomi"という記事では,日露戦争当時,フィンランド軍人がロシア側について戦ったにもかかわらず,日本の勝利を「勇気付けられるできごと」と考えた民族主義者がいた,と述べています.
(このブログは,「『東郷ビール』という伝説」のページの「生き続ける『伝説』と謎」の章でも紹介しています)
※「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」の「日本の心・歴史」の項にある「02・日露戦争は帝国主義的侵略だった?」という記事に,後にフィンランド大統領となったパーシキヴィが「友人が『日本の日本海海戦での勝利』のニュースを喜んで知らせてきた」といったことを述べている,という内容が,名越二荒之助著「世界に生きる日本の心」を引用して記されています.
これは確かに「パーシキヴィ回想録」第15章に出ている内容で,下の[読者の方からのご意見]などいろいろな情報を当サイトに提供してくださっている読者の井出様に,該当ページのコピーを見せていただきました(なお,原文では,日本の勝利に対する評価は,すべて友人(Otto Hyyryläinen氏)の発言として書かれています).
※上の井出さんには,フィンランドで結婚式に出席した際,年配の方のスピーチで「(日露戦争当時)フィンランド大公国はロシアと強い絆があり,(その方の,ちょうどその当時結婚された)母は,『日本がロシアを倒したことを,(母の周囲の)人々は深く悲しんでいた』と言っていた」というお話があった,という話を教えていただきました.
下の「ロシアは『悪い国』なのか」の章で述べているように,ロシア支配下のフィンランドは,「自治大公国」という半独立国のような地位にありました.しかし,ロシアがその支配の末期の1899年から「圧政」,すなわち自治権の剥奪とロシア化政策をとったため,フィンランドの独立機運が高まりました.しかし,この時点のフィンランドには,完全な独立を求める急進派と,ロシア支配下でかつてのような自治権の回復を求める穏健派とがあり,独立を目指して国論が一致してロシアと闘っていたわけではありませんでした.ですから,日露戦争に対する当時のフィンランド人の反応が史料によってさまざまであるのは自然なことです.
日本海海戦があり日露戦争が終結した1905年には,「圧政」が一旦止み,翌1906年には,世界初の完全に男女平等な議会制度がフィンランドで実施されました.これは日露戦争におけるロシアの敗北が原因ということもできますが,1905年1月の「血の日曜日事件」をきっかけとするロシア第1革命によって帝政ロシアが弱体化したことが直接の原因で,敗戦によって革命が促進された,ということもできます.また,「圧政」は後に再開され,1917年のロシア十月革命で帝政ロシアが崩壊するまで続いています.
ところで,日露戦争をとりあげた司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」には,下のような記述があります(文春文庫新装版第8巻273〜274ページ).
たしかにこの海戦がアジア人に自信をあたえたことは事実であったが、しかしアジア人たちは即座には反応しなかった。(中略)
ただヨーロッパにおける一種のアジア的白人国(マジャール人などを先祖とするハンガリー、フィンランドなど)は敏感に反応し、自国の勝利のようにこの勝利を誇った.さらにはロシア帝国のくびきのもとにあがいているポーランド人やトルコ人をよろこばせた。
この小説は1968年から1972年まで新聞に連載されたものですが,日露戦争とフィンランド独立を結びつける見解に何らかの影響を与えているかもしれません.
[読者の方からのご意見]
ロシアは「悪い国」なのか
日本で語られている「日本のロシアの対する勝利が,フィンランドの独立運動を勇気づけた」という話には,日露戦争とフィンランド独立の関係についての事実がどうかということとは別に,ひとつの誤解を含んでいるようです.それは,「フィンランドは,ロシア支配の時代には,きっとひどい目にあっていたに違いない.フィンランドは長い間のロシアの圧政に一丸となって戦い,ついにロシアの支配から独立を果たしたのだろう」という「先入観」です.
「フィンランドと隣国」というページでも触れましたが,650年におよぶスウェーデンの支配下では,フィンランドはスウェーデンの一部にすぎず,国としてのまとまりはありませんでした.しかし,ロシアの支配下に移ってからは,フィンランドは,ロシアの支配地域の中では特別な,「自治大公国」という半独立国のような地位を得ました.ロシア支配の時代にフィンランドは「国」としての体制を整え,フィンランド語による高等教育も行われるようになりました.
前章で述べたように,ロシア支配の末期になって,ロシアの「圧政」によってフィンランドの独立機運が高まりました.日露戦争から12年後の1917年のロシア十月革命のころには,独立機運はいっそう高まっていましたが,このときの独立を求める勢力にも,それまでの支配階層である中産階級と,労働者階級を中心とする社会主義者の,二つの大きな勢力があり,一枚岩ではありませんでした.
十月革命で帝政ロシアが崩壊した後,中産階級を主とするフィンランド政府(「セナート」とよばれ,自治大公国成立以来ずっと存在していました)は独立を宣言し,独立国としての承認をソヴィエト政府(レーニンを中心とするボリシェビキ政権)に求め,認められました.独立の後になって,上の2つの独立勢力の対立は,ドイツに支援された政府軍(白軍)と,ボリシェビキ政権に支援された社会主義者(赤衛軍)との内戦をひきおこしました.この内戦は白軍の勝利に終わりましたが,その後もフィンランド内部に対立を残しました.
その後,フィンランドはソ連と2度戦争して敗れた結果,領土の割譲や賠償を課され,さらに戦後もソ連からさまざまな干渉や圧力を受けました.私がフィンランドで滞在していた研究所の研究員からも,「1980年代のKoivisto大統領の時代になるまでは,ソ連に反対するような言論すらできなかった」という話を聞きました.現在では,ソ連の崩壊によってそのような圧力はなくなり,1995年からはフィンランドはEUの一員になっています.それにもかかわらず,Helsinkiにロシア皇帝アレクサンデル2世の像が今もあったり,大きな通りにAleksanterinkatu(アレクサンデル通り)という名前がついていることは,ロシア・ソ連とフィンランドが単純な支配・被支配の関係ではないことを象徴しています.
現在の日本で,このような複雑な事情を顧みない,「フィンランドはロシアの圧政と戦って独立した」という単純な「先入観」が語られているのは,「スウェーデンは福祉の行き届いた『良い国』で,ロシアやソ連は北方領土もなかなか返してくれない『悪い国』だから,フィンランドはスウェーデン支配の時代に比べてロシア支配の時代にはきっとひどい目にあっていたに違いない」という,ロシア・ソ連に対する日本人の体験からくる偏見があるのではないか,と私は思います.
※ロシア時代のフィンランドについては,松村一登氏のサイトにある「フィンランド史概観」で歴史の概略が説明されています(ただし,この文書では,独立の経緯についてはあまり触れられていません).また,「『東郷ビール』という伝説」のページの「生き続ける『伝説』と謎」の章でも紹介しているJussi氏の「フィンランドの歴史」でも,ロシア時代のフィンランドについて,フィンランドの歴史教科書等を引用して説明されています.
※内戦の経緯や,その後のソ連との戦争,および戦後のフィンランド史については,ちゃあ氏の「フィンランド史」のページが参考になります.参考文献もいろいろあがっています.
※フィンランドで私が住んでいたTampereにあるレーニン博物館では,レーニンやスターリンのサインの入った,ソ連政府(人民委員会)がフィンランドの独立を承認した文書のコピーを売っています.
また,国立民族学博物館・地域研究企画交流センターのサイトにある北川美由季氏の「レーニン博物館を訪れて」では,フィンランド独立とレーニンやソ連との関係について説明されています.
Tampereの「レーニン氏宿泊地」記念銘板."OPTIKKO"の店舗の右横の小さな黒い板です(クリックすると銘板の拡大写真と説明が表示されます).
[読者の方からのご意見]
フィンランドに在住,あるいは滞在されたことのある方,ぜひこの「フィンランドは親日国か」という問題について,お話をお聞かせください.お差し支えなければ掲載させていただきたいと思います.よろしくお願いします.
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