フィンランド語では,単語の文法的機能,すなわち「てにをは」を,単語の語尾の変化で表わします.これを「格」といい,フィンランドの名詞は15種類の格に変化します.これが「フィンランド語は難しい」といわれる理由のひとつですが,格の変化は概ね語尾に特定の形がくっつくものが多く,また形容詞と名詞が同じ変化をするので,言うほどとっつきにくいものではないと思います.例えば
iso talo(大きな家)→ isossa talossa(大きな家の中で)
となります.ただし,語尾がつく際に語幹が変化する場合があり,そのパターンを覚える必要はあります.例えば
Helsinki(ヘルシンキ)→ Helsingissä(ヘルシンキで)
käsi(手)→ kädellä(手の上で)
となります.
上にあげたような「中で」「上で」のような格は,「てにをは」のような感覚でとらえやすいのですが,どうも理解しにくいのが「分格」という名前の格です.とくに複数分格は,語尾の形や語幹の変化も何通りかあって覚えにくいうえに,意味もうまくとらえがたいものです.
基本的には,単数分格は「はっきりしないいくらかの量存在するもの」,複数分格は「はっきりしないいくつかの数存在するもの」を表わします.
例えば,「箱(laatikko)の中に鶏(kana)がある」というのを,kanaの単数分格 kanaaを使って
Laatikossa on kanaa.
というと「箱の中に鶏料理がいくらかある」という意味になり,複数分格 kanojaを使って
Laatikossa on kanoja.
というと「箱の中に(生きた)鶏が何匹か入っている」という意味になります.
また,mies(男性)の複数分格 miehiäを使うと
Saunassa on miehiä.(サウナに(何人か)男性がいる.)
という言い方ができますが,これを単数分格 miestäを使って
Saunassa on miestä.
というと,これは「サウナに男性の一部分(腕一本とか)がある」というふうに聞こえてしまうそうです.
「人」や「生きた鶏」は「数」で,「鶏料理」は「量」というのは理解しやすいですが,これが「苺」(mansikka)となると,「数」か「量」かがあやしくなります.形や大きさがそろっていて箱に並べられた高級苺は「数」ですが,パックに入っている不揃いの苺は「量」という感じがします.
フィンランドでは初夏になると苺の露店があちこちに出ます.こういう店では苺は「半リットル」といった「容量」で量って売っていますが,店の看板はmansikkaa(単数分格)もmansikoita(複数分格)もどちらもあるようです.
こういう原則で理解できる話はまだいいのですが,「分格」には他にもいろいろと難しいところがあります.
「数詞」の項でお話ししたように,数詞がかかる言葉は単数分格になります.同様に,「たくさんの」という意味のmontaがかかる言葉も単数分格になります.ところが,同じく「たくさんの」という意味のpaljonがかかる言葉は複数分格になります.
また,滞在中の外国人向けフィンランド語講座では,複数分格は「何国人は○○だ」という表現で習いました.教科書にあった例文(フィンランド人が各国人に対してもつ印象)では,
Japanilaiset ovat pieniä ja kohteliaita.(日本人は,小さくて礼儀正しい)
となり,japanilaiset(日本人)は複数主格であるのに対し,pieniä(小さい)やkohteliaita(礼儀正しい)は複数分格になっています.なぜこうなるのか,結局よくわかりませんでした.
このときの講義の最後に,各生徒に,自分たちについて「何国人は○○だ」と言ってみなさい,という課題が与えられましたが,私は複数分格を使う上の文型がうまくいえなくて,
Japanilaiset rakastavat rauhaa.(日本人は,平和を愛する)
といってごまかしてしまいました.rakastavat (< rakastaa)は「愛する」という意味(3人称複数現在)で,rauhaa (< rauha)「平和」は単数分格になっています.これがなぜ単数分格かも,よくわかりません.なにしろ,tykätä「好きだ」という動詞を使うと,
Japanilaiset tykkäävät rauhasta.
と,「〜の中から」「〜について」を表わす別の格を使うのですから.